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ああ懐かしの青春18きっぷ

学生時代に重宝した青春18きっぷ!
1日JR乗り放題で2370円の激安。

昔は5枚つづりでバラして使えた(というか金券ショップでバラで売っていた)ので、例えば2枚だけ買って、実家への往復を5000円弱で済ませるということができた(普通に新幹線とか飛行機だとウン万円)。
1996年ごろ今の一枚に5日ぶんが集約された形になっています。

さて、今夏、秋田へ行こうとしていた私は、「関空-仙台をpeachで、仙台-秋田を高速バスにすれば、片道うまくすると1万円ちょいでいけるだろう」と考えてpeachのホームページで検索......「2万円超?片道?」
リムジンバスと高速バスを加えると片道3万円に迫る勢い.....

「そうだ青春18きっぷがあるじゃないか! (ちょっと遠い目)」

で、時刻表片手にJR鈍行(懐かしい響き!)の旅のはじまりはじまり〜

まずは6:22JR奈良駅発の普通列車で京都へ!

アクティブ・ラーニング

ちょうど一年前のFacebook の投稿から。アクティブ・ラーニングについてn私の考えです。

マイクロ(個人)が取り引き相手になる。

ちょっとズレるし誤解を生むかもしれないけれど、私がFacebook での繋がりで感じていることと似ている。
Facebook では、個人にコミットして実際に会いに行ったり会いに来ていただいたり、研究会やオフ会を開いたり、直接対面でもfb上でも繋がりのネットワークが増えていく。
すると、私個人では知り得なかったことや、出会いに遭遇できる。そこから新たな動き(価値)が生まれる(生まれないこともある)。
このことが、ここほんの数年で出来るようになった。fb以外でも、skype in theクラスルームとか、世界中と繋がることができる。
課題なのは、繋がるというアクティビティではなく、繋がりが何をもたらすのかというアウトカムであり、他者にどう貢献できるのかという利他性だと思う。
私の父は、息子から見ても、宴会や食事などで、同席した人たちを楽しませ心地よく話をさせることができる名人だ。しかも媚びたりすることもない。何度も真似しようとしたけどできない名人芸。
だから父はいろんな人たちとの繋がりを持っていた。
父が利他性を意識していたかはわからないけれど、明らかに父がいる「場」は同席の人たちのパフォーマンスを向上させた。
今、アクティブラーニングと言われているが、何がその場のいる人たちを「アクティブ」にさせるのか?どんな学びをデザインするのか?そして、従来は教員の手にあって絶対に手放そうとしなかった「学びの枠組み」を開放すること、教員が構築した「学び方」を学習者も共有して、「学び方」を作ることができるようにし、さらには、ともにより良いものに作り替えること、そんな運動体に学びの場が変容することが、面白いと思う。
生徒の皆さんが、学びの受容者であり消費者である立場を超えて、学びを創る側へとパラダイムシフトした時に、ディープなアクティブラーニングがはじめて生まれる。「創ること」は鋭く自他を問うことであり、しかも「面白い」。
時代も「創ること」を態度や能力として求めている。「さまざまな知や人」が時系列でも水平にも複雑に繋がる社会へと出るための準備の場である初中等の学校が、受容と消費(しかも必ずしも優良なコンテンツばかりが与えられる訳ではない)の場に終始するのならば、生徒の皆さんに有益とは言えない。

今、本校の中3はスキー行事(修学旅行のようなもの)へ向けて実行委員の皆さんが企画.調整.実施に苦心している。それは小さいながら創造の場であり、自己が鋭く問われる活動でもある。そして誰がどんなふるまいや役割(ほんのちょっとしたノンバーバルコミュニケーションであることもある)をしたかによって、その場のアクティブさが変わる。変わるというか、生じる。
  では、教員のわれわれはどう関わるのか?問いがこちらに返ってくる。当然、「こういうことはクリアしてほしい」というラインはクリアできるように助力するが、まぁ大抵は任せておいてもクリアしてくれる。じゃぁさらにどうするのか?一生懸命考えるしかない。そして教員の「学びの枠組み」を超える状況が生まれる。
 これを、普段の授業でも目論むのが、自分なりの面白い学びの場デザインです。… Visit the author's original post

植松努さんの考え方と新学力観

「できない理由を教える/押しつける大人」に教員は最もなってはいけない立場にある。
じつは新学力観(21世紀型学力)の根幹を成す(そして教員への評価の新たな根幹となる)キーコンピテンシーは、「できない理由を教える/押しつける」から最も遠くにある評価のあり方だ。
コンピテンシーを日本語でうまく表現するのは語学力からも専門知識からも私には困難だが、間違いを恐れずに簡略にいえば、「優れていると認められる人たちに備わっている行動特性」のことだ。
アメリカでは人事評価に一般的に用いられているらしいが、教育でそのようには使われないだろう。コンピテンシーを育成・涵養することが目的であるからだし、コンピテンシーを発揮する場面が教科教育の中には(知識構成型ジグソー法などの考え方や学び方を他者との対話を通じて学ぶような教育方法を除く)ないからだ。特に高校では部活や行事などの特別活動以外にコンピテンシーを育成・涵養する場は無い。
私は、コンピテンシー育成・涵養には(従来型の教科教育でも)、必ず自分のマインドセットや教員を当然含む他者のマインドセットをメタ認知する態度とスキルの訓練が組み合わせられている必要があると考えて、実践している。
メタ認知する態度とスキルがなければ、自分がどんな考え方や捉え方のスキームに囲まれているのかすらわからない。それではどんなに優れた技術や知識を持っていても、他者(考え方や捉え方を含む)の「奴隷」となってしまう結果となるし、社会やコミュニティをより良く継続させていくこともできない。
それはすなわち、教育が目の前の個人に対しても社会に対しても意味を持たないことに他ならない。https://www.facebook.com/tsutomu.uematsu/posts/1101466006598782
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キャリア教育の危うさ

グローバルシェイパーズというコミュニティーがあります。






 グローバルシェイパーズは、「世界経済フォーラム(通称ダボス会議)のイニシアチブのひとつで、優れた潜在能力、また実績を持ち、社会に貢献する強い意思を持つ33歳以下のメンバー」です。
 
 勤務校の中学3年生対象のキャリア教育プログラムに6名に方においでいただき、それぞれの人生観や仕事観、展望などを語っていただきました。

 「自分は何を考え、どう行動しているのか」について、「すでに成し遂げたこと」ではなく「いま考えていること、取り組んでいること」や「中高生時代のエピソード」を若い尖った(失礼ですが)方々に語っていただくことは、たいへんよい刺激となったと見ていて感じましたし、事後アンケート結果もその通りでした。

 先日、今年度のグローバルシェイパーズ出張授業報告会に出席して、本校での取り組みを報告しました。
 けっこうざっくばらんな会だと勝手に判断したので、「仕事にかかわるキャリア教育を教員の発想と能力のみで作って実施することの無意味さ、あるいは危うさ」と、「だからこそ私が作ったキャリア教育プログラムをグローバルシェイパーズのみなさんの語りと存在が相対化し壊し、生徒たちが再構成してほしいと考えていた」ことを話しちゃいました。
 シェイパーズのみなさまにはおおむね好意的にお受け止めていただけたことが、うれしくもありまた、もっとおもろいことができそうだ!と前向きにもなれた会でした。

 なぜ教員の発想でのキャリア教育に危うさを感じるのか?
 それが、「知識習得型」「生徒個人の適性判断型」といった手法を用いて、教員の知識と経験でスキームが作られて、そのスキームの中で完結するように作られている場合に「危うい」と考えます。
 「知識習得型」はたとえば業種研究などですが、目の前に会社説明会などにエントリーしなければならないリミットが迫っていたりしなければ本気で生徒は取り組むのか疑問です。そもそも、「知識の習得」は「習得した知識の活用場面」があるからこそ、そしてその活用場面で知識が活用できるぐらいのスパンが展望されるからこそなされるはずです。そうでないものに「教養」がありますが、「知識習得型」のキャリア教育の「知識」に教養に足るものがあるとは思えません。
 「適性判断型」ですが、自分自身適性検査で現在の職業に適性があると判断されないんですけど (笑) わたしの乏しい経験だけでもその仕事をしているうちに「面白い、楽しい」と感じたり、まったく想定していなかったことや新たな仕事に出会ったり、つくったり・・・というように、「今の私」との適性判断は参考資料程度にはなるにせよ、判断基準とはなりえないと思います。
 仕事との相性よりは、同僚や上司、顧客などの「人との関係性」の方が仕事をする上でのモチベーション向上ややりがいに結びつくと思いますし。
 その意味でも、「どんな人が、どんな思いで、どんな仕事をしていて、その過程でどう感じてきたのか」に触れること―しかも説明ではなく「語り」で―がよいと思うのです。
 仕事をすることは、「あたえられたタスクを上質で効率よく成し遂げ続ける」という、これまでの日本を支えてきたことスキルや態度も大切と思いますし、それは日本人の良さとも思います。ですが、これまでも仕事でおもしろいことや新たなこと、社会へ貢献をしてきた方々は、上記のことはしつつ、従来の仕事を改良したり、あらたな枠組みや価値を創ったりしてきました。しかもそれは多くの場合「協同して」なされてきました。
 ならば、中学や高校でのキャリア教育もまた、従来の取り組みの良いところは取り入れつつも、従来の(そのプログラムを作った教員の)枠組みを改良したり、作り変えたりされ続けるものでなければいけないと考えます。それは、当該の教員だけではできません。グローバルシェイパーズのみなさまのような方々が参画されることで起きると思います。
 そしてなによりも、当事者である「生徒のみなさん」が、お客さんとしてコンテンツ消費する存在にしてしまうキャリア教育ではなく、生徒の皆さんがキャリア教育のスキームを相対化し、最適化し続けるような目論見と仕掛けが必要不可欠だと思います。だって、当事者だから。(というわたしの目論見も看破してほしいな ニコニコ) … Visit the author's original post

保護色いぬ

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ちょっと前、いよいよ寒くなってきた頃、カーペットをあったかいのに変えました。

「あんまり汚れとか目立たない柄で、掃除機かけやすいのがいいよね」とか言いながら選んだこれ。

敷いたらさっそく犬が来てくつろぐ。

ちょい目を離して、「あれ?犬は?」って一瞬探すほどの保護色! 笑

犬は幸せそうですが、時々、見失う (^_^;)

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ディープ・アクティブラーニングの落とし穴



お久しぶりの更新です。

 ここ数年、ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニングなどの新たなツール、方法、理念を自分自身の教育活動に取り入れてきました。

 自分自身、ICT機器やツールでこれまでできなかったことができるようになったり、これまで知りあえなかった人たちと知り合いになったり、なによりも生徒たちが熱心に取り組んできくれたり、これまで向上できなかった態度や能力が向上できるようになったりしていることに、すごく楽しい思いでいっぱいです!

 ですが、その中で、しだいに不安感が膨らんできました。

 不安というのは、たとえば・・・こんな「イノベーター」がいたとして・・・


 学校で「イノベーター人材育成!」を目標に掲げたときに、下に書いたみたいにカリキュラムがデザインされ、そのもとに学習活動がデザインされていくわけです。

 1、「イノベーター」(育成すべき人物像)の定義
 2、その人物像をどんな学習方法や学習コンテンツ(国語とか数学とかの授業の組み合わせをイメージするとわかりやすいかも)を組み合わせると育成が可能になるのか計画する(これがカリキュラムデザイン ざっくりですが)
 3、育成がどう「できているのか」図るための評価基準と評価方法を考える(ルーブリックの作成)
 4、ルーブリックで評価する
 5、その評価を生徒個人にフィードバック、教師や教科、学校全体でも評価からカリキュラムや学習活動デザインがうまく機能しているのかどうか把握
 6、うまくいっていればOK,行ってないところは改善(PDCAサイクル)

 それで、わたしの不安というのは、こんな感じで「イノベーター育成できましたっ!」ってちょっと胡散臭いという感じ。
 
 「この方法で、こうやったらイノベーター育成できます!」「イノベーターってこういう人です!」「きみはそういう人になれた、だからイノベーターバッジあげるね!」「イノベーターを育成できた先生にも、イノベーターコーチバッジあげるね!」

 ね、胡散臭いでしょ。(うちの学校でこれをやっているわけではありません)


 ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニングに関しても、同様の心配や不安を感じています。
 「ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニング」ってこういうもので、こんな態度や能力が育成できるもの、と「定義」して、そのための学習プロセスのモデルが提示され、定義づけされた態度や能力がはたして涵養や向上ができたのか測るルーブリックが作られ、みんなでそれに基づいてやっていく。
 
 それは、とても大事。定義づけも必要、学習プロセスモデルも必要、ルーブリックももちろん必要。それらがなければ、PDCAが回らないし、そうした「スキーム」を相対化して改善していくこともできないので。

 でも、もしかしたら、「バッジをあげる」みたいなことになるかもしれない。「バッジをもらうためにそういった学習を作る人や、学ぶ生徒」が生まれるかもしれない。「正解を求めて、得られたらそれでおしまい」みたいなやり方です。
 それは、「高度化複雑化した社会でしなやかに生きる力」や「定まった解のない課題に果敢に取り組む態度」や「問いを見つけて解決していく態度と力」や「ひとりでは解決できないような課題に他者と協同して取り組む態度」などなどが必要だとされ、そのために生み出されてきた新たな学力観である、「ICT活用や21世紀型スキル、アクティブラーニング、ディープ・アクティブラーニング」の在り様と反するやり方です。
 知らず知らずのうちにそうなることがあるのではないか?それが、ここ数年取り組んできた自分自身をメタ認知して不安に思うことです。




 そうならないように気を付けようと、思っています。

 
 さて、先日、総務省の「ICTドリームスクール事業」の成果報告会で報告してきました。


 うちの学校では、ICTを活用した2つの「アクティブラーニング」に取り組んできました。
 「ハイブリッド」がコンセプト。
 1つめは、教育用SNS[ednity」と協同学習ツールの「school Takt」のハイブリッド、
 2つめは、遠く離れた中学校と高校を「school Takt」で結ぶ、遠距離間・異年齢間での協同学習です。PDCAで次年度さらに改善して取り組みたいと考えています。






















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2016/02/14

備忘録:

わたしの国語の授業で指針にしていることの「1つ」に、以下の田中実さんの考えがあります。

「文学作品を読むというのは、基本的にこういうふうに考えています。対象の発見は自己発見、自己発見は対象の発見に反転し、自己倒壊を起こしていくこと、知識を身に付けて自分を太らせ、豊かにするのではない。つまり、向こうにあるものを見つけることは、自分が見えることであって、自分が見えることは対象が見えること、対象そのものは見えない、そんな中で既存の自分を瓦解していくこと。読むことの究極、その極意は、小林秀雄の言うような作家の星を発見することではない、自身を抉り出すこと」※正確な引用でありません。

そこで、いま、中2で読んでいるのが「ごんぎつね」、中3で読んでいるのが「やまなし」です。

「ごん」については、小4でみんな読んでいますので、まずは何も解説もなしで、「いま、中2で読んでみてどんな物語だと思う?」という問いで言語化してもらいました。
 
 そして、「自己倒壊」のアイテムとして、下記の3つの情報を提示して、自己の読みをとらえなおしてもらっています。

1、プロットとストーリー:プロットは「王は死んだ。悲しみのあまり王妃は死んだ」。ストーリーは「王は死んだ。そして王妃は死んだ。」。プロットは「因果関係」。ストーリーは「時間の流れ」。プロット「因果関係」で、最終場面を読み直した時に、どんな作者の仕掛け(悲しみや哀れさ、あるいは救いを読者に感じさせる仕掛け)が明らかになるだろうか?

2、冒頭で、「わたし」は村の茂平からこのお話を聞いている。ということは、この話は江戸時代ぐらいから村に伝承されてきた話であり、それが茂平によって語られているということになる。では、この物語を語り始めたのはだれか?「物語内」に限って言えば、それは兵十以外にありえない。なぜなら、この物語は兵十と「ごん」の間に起こった出来事に基づいて語られており、ほかの人間は物語に参加していないからだ。とくに最後の場面は兵十と「ごん」だけが知りえる場面であり、この最後の場面の出来事があるからこそ、この物語は兵十によって語られることとなり、村に伝わることとなったに違いない。なぜなら、きつねという「けもの」が人間に贈り物をする、しかも罪悪感や共感のもとに・・・であるからだ。そうした観点でみると、「ごん」の内面の語りもまた、その多くはあるいはその一部は兵十によって語られているといえるだろう。そうした観点で見たときに、この物語はどう見えるだろうか。

3、この物語は新美南吉によって書かれた。その原作では最後の場面でごんは、「嬉しそうに笑って」死ぬ。しかし、絵本や教科書に載っている「ごんぎつね」では、鈴木三重吉という人がその部分を削っている。では、「嬉しそうに笑って」という部分があるのと無いのとでは、「読み」が変わるだろうか?変わらないだろうか?それはなぜだろうか?

「ごん」の内面は「ごん」が語ったものではなく、兵十が語ったものが村人に伝承されて語り継がれた、と読むのが「物語内」では自然です。その伝承を茂平から聞いた「わたし」がさらに語る、というのが、「ごんぎつね」の語りの構造です。
 すると、「ごん」の言葉も内面も、語り手が語らせているということになります。そこに仕掛けがあってそれを読むことが重要だと思います。
 具体的には、最終場面で兵十は、ごんが「くりやまつたけ」を持ってきてくれていたことを理解しますが、ごんが「ひとりぼっちの兵十」に共感していたことまではわからない、そこに、断絶があり、悲哀がある、というような読みを批判できるということです。その「ごん」の内面は兵十が語っているのですから。
 こんなことを考えながら2年生と授業を作っています。… Visit the author's original post

短歌とアクティブラーニングっぽい授業

中学2年生の短歌の授業。アクティブラーニングっぽいのをやってます。

中2であつかうのは「近代の短歌」で、うちの学校の教科書に載っているのは、石川啄木、斎藤茂吉、若山牧水、与謝野晶子。

それに限らなくてもよいのですが、まずはとっかかりとして石川啄木の短歌を取りあげます。



 これはキツツキ(啄木鳥) ※この画像含めて以下画像はPixabayより



やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに





ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく



 「ふるさとの~」の短歌については、アクティブラーニングのための「知識(インストラクション)」として、啄木の経歴や当時の時代背景を簡単に紹介。
 また、「短歌の鑑賞って、何をすること?」という問いから、これまでの自分たちの学習をふり返り、小グループで話し合って「鑑賞という学習活動の具体化」を行い、(いろいろほんとにたくさん出てきましたが)、「風景・光景のイメージ化の際に五感がどうはたらいているかを加えてイメージを具体化する」「読み込まれている心情を具体化する」のおおきく2つの方法をとることを共有した上で、「句切れ」の学習と組み合わせて・・・

 「ふるさとの訛りなつかし」で切れる、二句切れ。なぜかというとここまでが心情で,この後が行為だから。とし、で、「どんな気持ちが読まれてるの?」と問いかけ、まずは個人で考えて、その後、グループで個人の考えをシェアし、融合、改善、改変、発展、あるいは誰かの意見の採用を経て発表という流れを取りました。


その際の板書


中2の授業としては、「故郷を遠く離れて東京で暮らす若者が望郷の思いが募って、ついには東北からの上京者が多数乗降する上野駅に足を運んだ(で、望郷の念にあふれるこころをなぐさめた)」ぐらいでおわりでよいとされているのですが、まぁ、そんなはずはなく(;^_^A


板書にあるとおり、「故郷から遠く離れた都会で孤立感を深める若者のつらさ・さびしさ」は、共通で理解しておこう!でも、それで「だから上野駅に故郷の訛りを聴きに行く」では不十分だから、そこは自分でオリジナルに考えてみよう!ヒントは(聴きたくない人は聴かないでねぇ)、「人ごみ」「聴きにゆく」です。

というかんじで進めました。どんな考えが、どんな根拠から出てくるのか楽しみです。また、個人の考えをグループでシェアしてどうなるのか?他の人の考えを聞いてどうなるのか?そのあたりの化学反応的なところにも関心があります。

「根拠と化学反応」、言葉の知識や読む力に支えられた読解力、表現力と、パフォーマンスの様子が結果を招来するので、言語能力の向上とアクティブラーニングのコラボかな?


種明かし(ただし、私の解釈なので「正解」ではありません)

 上野駅の雑踏の中で方言を聴いても、この若者の望郷の思いはなぐさめられない。なぜなら、この若者は「人ごみ」という、この若者という〈わたし〉とは関係性を持たない不特定多数の中で故郷のことばを聴こうとしているからだ。そこには、故郷の人と「つながり」を得て、望郷の思いをなぐさめようとするポジティブさはない。ただ、消極的に、ざっとの中で故郷のことばを聴きたいと感じているだけだ。都会でもこりつし、その孤立感をいやしたいと行動に出るが、この若者の行動は他者との関係を結ぶことを想定していない。孤立から逃れようとする行動が、しかし孤立したままであろうとする、この若者の心のありようの救われなさが、読む者自身の望郷のノスタルジーを引き起こすとともに、都会の雑踏の中で孤立しそれをどうすることもできない切なさを感じ取らせるのである。

 みたいな感じかなぁ。この読みをもうちょっとかみ砕いてあとで生徒たちに示してみていろいろと議論できたら面白そうです。 … Visit the author's original post

石舞台とバーニーズ

「ときどきワンコ」なので、たまにはワンコの話題を(´∀`)


あの有名な石舞台古墳




じつは、まわりが「なにもない公園」として整備されていて、バニ飼いにとっては(もちろん、ほかのわんちゃん愛好家の皆さんも)たいへんありがたい散歩スポットになっています。

しかも、(画像はありませんが)ふつうの東屋の10倍ぐらいあるでっかい東屋があって、板敷きであがることができ、日陰になります。
ここにはわんこは上がれませんが、ちいさなお子さんがいるご家族yあおじいちゃんおばあちゃんにとっては、格好の涼み所&ごはんひろげ所です。



石舞台へ行ったついでに、ロングリードでしばらく柚子とあそびました。





わぁーと走り回って、めっちゃ笑顔(^∇^)

だけど、少ししたら、日陰からでてこなくなっちゃいました・・・
まだまだバニには熱いですね


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SNSで板書と授業のポイントをシェア!

ある畏友のFacebookでのポストに刺激されて、さっそくはじめてみました。授業での板書とポイントをシェアしよう大作戦!





中2の授業で、


私「体調不良とか、警報(うちの学校は通学範囲が広いので生徒が住んでいいる地域に気象警報が出ていても学校は授業しているということがあります)とかで、授業を休んだ時のためや、テスト前の振り返りのときとかに、板書の画像記録とか、授業のポイントの記録とか、これ大事!記録とかあると便利じゃない?」


生徒の皆さん「うんうん(うなづく)」


私「みんなはednityがつかえるんだから、ednity上に板書の画像と、授業のポイントとか何やらを投稿しておけばいつでもどこでも見られるよね。家で見られない人は学校でipad貸すし」


生徒の皆さん「うんうん(うなづく)」


私「で、誰が投稿するかっていうのがまだ決められてないんだけど…」


生徒の皆さん:うなづかず


私「担当を固定してもいいんだけど…こういう記録ってやるとすごく頭に残るし、記録する力が向上するし…」


生徒の皆さん:何人かうなづく


私「まぁ、今日はとりあえず、席が隣り合っている、君と君ね!」


指定された生徒たち「まじすか?!」


こんなやりとりではじめてみました。しばらく続けてみます。
一番の問題は、わたしの板書が醜いということだな。
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SNSでのアクティブラーニング

 わたしは教育用SNSの活用を、学習活動へのICT活用の1つの柱としています。いくつかねらいがあるのですが、その中に、「SNSでのどんなやりとりがどんなアクションを起こすのか明らかにすること」があります。パフォーマンス評価みたいなものですが、直接対面ではないコミュニケーションにおいて、チームあるいは個人のパフォーマンスを上げるのはどのようにコミュニケーションが生じている場合か、それは構成員の組成とどう関連するか(後者はなかなかあきらかにできませんが)、に関心があるのです。

 このあたりが、アクティブラーニングとリンクすると思い、ご意見をうかがいたくて投稿しています。

 すでに現在、FBでもあるいは会社内のチャットなどでも、「価値」を産み出すコミュニケーションが生じていますので、「やっぱ直接会って話すのが一番だよね~」とは思いますが、現実的にいって目の前の子ども達が、直接対面せずに仕事をしたりコミュニケーションを取ったりする場合が増えこそすれ減ることはないと予想して、じゃぁ教育ではどうするの?という問いが自分自身に突きつけられているわけです。

 で、こんな感想が書き込まれるSNSでのやり取りをご紹介します。

「今まで物語を読んだことは数え切れないほどありますがそれについてこんなに深く考えたのは初めてでした。(中2)」
「兵十はごんを了解し、ごんは救済される。しかしごんはもういない。せっかく望み通り了解されたのにそれ以上のことは何もできないというのが悲劇性であると思う。こう考えることができたので面白い。また物語を深く読んだいい機会でした。(ごんぎつねの読みについて 中2)」


部活動でもとめられる外部コーチ像

夏休み、とうに終わっちゃいましたが、いくつかふり返りたいと思います。まずはその1つ、部活動。

夏休みは、普段できないことに時間が取れます。

部活もそのひとつ。

基本動作を丁寧にみていきます。ひとつ一つの練習の意味(どういう目的で何をしているのか)も確認していきます。


昨日は女子が新チーム初の練習試合で他校にお世話になりました。日曜日には京都のチームにお世話になります。
でも、すべては私の能力内でのこと。だから選手のみなさんのスキルの状態やゲームの内容、結果は私の責任となります。


じゃぁ外部コーチなどを依頼してみては?

人見知りなんだよね(笑)

それはさておき、上記のような責任(全部じゃなくていいんだけど)を果たしてくれる人。

何のためにどう活動するのか、どう声かけをするのか、きちんと考えてブレずに行える人、いてくれてほぼボランティアで来てくれるかなぁ。

その方と私が丁寧に話し合って、指導の方針とか内容を詰められるかなぁ。

公式戦や練習試合にも来て欲しいし。

巷では、プロ経験者とかで若い人の指導に安価でも関わりたい人はゴロゴロいるって話もあるけど、少なくとも私がアクセスできる情報ではそんな方はいない。

難しいなぁ … Visit the author's original post

授業って「箱」だよね~

 昨年度、岡山の高校、京都の高校、そして私の勤務校でコラボしてきた、3校連携協同学習プロジェクトの到達点として、公開授業の話です。

 このプロジェクトは、「平家物語」を共通教材として、3つの学校の教員がそれぞれの切り口と授業方法で授業をしている、その様子をビデオに撮り、お互いに教師も生徒たちも他の学校の授業の様子を見合うことで、自分たちの授業のコンセプトや意図、目的、自分たちの学習のあり方を相対化(メタ認知)することで、自分たちを知らず知らずに規定している「枠組み(スキーム)」を認知していくこと、そうすることによって、「枠組み」を知った上で乗り越えたり、活用したり、自分自身の活動や成果を明確に捉えられたりできるようになることを目論んでいます。
 

 自らの枠組みを認知する態度やスキルは、他人のそれを認知する態度やスキルに通じますし、自己や他者を規定する枠組みを知ることで、自分自身をはじめ他者や世界への認識が可能になります(構成主義的ですが)。...
 グローバル化とか言われている時代に必須の態度やスキルです。

 これまでの協同学習は、ほとんどが、学校の中で行われるか、同世代同士での協同であったり、どちらかが従属的であったり、協同による成果のクリエイティブや自己の揺さぶりがない、といったものであるように思います。(私が体験した中ではOECD東北スクールはそうではありませんでした)。

 そうではないものに、少し長い期間おこなう国際交流プログラムがありますが、十分な意思疎通と議論ができないところにもどかしさがあります。

 やはり、日本人同士で十分な意思疎通と議論をして考えや認識を深めたいと強く感じていました。それもあってこのプロジェクトを企画しました。昨日はじめて生徒たちが出会ったわけですが、この「はじめて出会った人間と意思疎通と議論をする」というのがよかったです。はじめて出会った人たちで協同するのがグローバル化、フラット化していく今後、どんどんなされると思うからです。
 

 議論や発表もよかったです。特に生徒たちの考えがどんどん深まっていく(しかも勝手に自分たちで!)のをほとんど感動してみていました。






 生徒たちは「枠組み(スキーム)」を「箱」と例えました。

「自分たちは学校や授業という先生が作った箱に入っているけど、このプロジェクトまでは箱に入っていることすら意識していなかった」とか、「箱から出て箱を眺められたと思ったら別の箱に入っていることに気づいた。どこまでいったら箱から出られるのか?出られないのでは?」とか、「箱のふたを開けてはじめてその箱がいいか悪いかわかる」とか!

面白いよ君たち!





 しかも、「こうして箱の話している自分たちがこのプロジェクトを作った先生たちの箱の中で動いているよね。チッ!」とか素晴らしい。


 そのモヤモヤ感をぜひ持ち続けて教師を凌駕してほしいと願っています。


 公開授業では、協同の成果物として新聞の一面を作りました。各学校で書いた記事、コラム、社説、広告の群を読み比べて、どれを一面のトップに持ってくるのか、それはなぜか議論して決めていき、なぜそう決めたのか発表して問い直されるという活動です。

 4人組の4グループでそれぞれ新聞を作りましたので、4種類の新聞ができました。記事などの内容はこのプロジェクトについてのものでしたので、プロジェクトへの理解も深まりました。
何より、グループの構成員がそれぞれ違った記事をイチオシしているので、どの記事にするかで価値判断がわかれます。価値判断をぶつけ合い、合意形成していく、それをさらにほかのグループから問われる、という活動ができる点で優れた活動です。この学習過程もとても面白いものでした。楽しかった!


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国語とビジュアルプログラミングのリンク!

 私は、MOONBlockを授業で使っていますが、それは「論理性とは何か?」を、「部分の集合で全体が成り立つ、すなわち部分に瑕疵があれば全体が崩壊する」という考え方と、「全体の中で部分の瑕疵は補われバランスは保たれる」という考え方を実体験を通して理解してもらい、最終的には、ものを創り出すことへとつなげてもらいたいからです。(授業の見た感じは、教科書内容理解と「プログラミングに親しむ態度の涵養」に見えます。そうでないと喝破された為田 裕行さんの眼差しの鋭さには脱帽です m(_ _)m )。




「二田の問いの意図を問う」のも、目の前の授業者という、児童生徒のみなさんがもっともたくさんの時間、たくさんの授業というコンテンツを「与えられる」存在のスキーム(知の枠組み、価値観)を分析、解釈することが、最も効率的で機会の豊富なスキームの相対化の訓練になるからです。しかも、それがどの学校でもなされれば、日本全国のすべての少年少女がスキームの分析、解釈の訓練機会と、みずから意識的にスキームを創り出す基礎的なリテラシーを得られる可能性があります。
ただし、授業者の...授業のデザインが分析、解釈に耐え得るものである必要があります。自分のそれが耐え得るかといえばまぁ頑張るしかないですね。

昨今のアクティブラーニングもラーニングの過程を評価するパフォーマンス評価も、授業のデザインを鋭く問われるという点で、21世紀の学力を伸ばすことに直結するのだと見ています。
この辺を議論できる機会がつくれると面白いなぁと思います。

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学びへのインセンティブ

教育へのICT活用について、とてもおもしろいとてもおもしろい分析分析、しかもデータ分析に基づくエビデンスをきちんと出そうという姿勢での分析です。

武雄市の取り組み「スマイル学習」については、わたしはまったく知らないので、意見を述べることはできません。

自分自身のICT活用の取り組みや考え方から、いくつか意見を述べてみます。また、以下の「 」内の指摘にも答えてみます。

...

「文部科学省の検証データで、わかっていることだが、国立大学の附属校の場合、ICT教育による学力伸長が著しい。それは、もともと優秀な子がいるからではなくて、選抜試験によって、ある一定の学力の集団を形成しているからだと考えられる。同質な子供たちは、学力的にもお互いが身近な存在で、頑張れば容易に手の届くライバルだから、「個別学習」であれば負けじと競争するし、「協働学習」であれば、意見を戦わせ、お互いに刺激し合って成長することができる。だから、「習熟度別クラス編成」の学習塾・予備校や、受験によって選抜された公立高校・私立学校のように、「均質な学力の集団」では、今後、「反転授業」「個別学習」「協働学習」によって、学力を飛躍的に伸ばす可能性がある。だから、国立大学付属でICT教育に携わっている教師は、学内の成功事例を発表するだけでなく、そろそろ、公立学校とのタイアップによる研究を始めてはいかがだろうか。」

まずは、ICT活用、この場合は主に反転学習についてですが、基礎的な知識やスキルを学校の授業時間以外での学習でおこなってもらい、学校ではそれらの知識やスキルを児童生徒たちが共有している状況で発展的な学習や、知識やスキルの原理を考えていくようなアクティブラーニングをおこなうこと、が期待されているように思います。また、きっと学校の授業時間内で集団での一斉授業では知識やスキルの習得が十分にできなかった児童生徒がそれを補うために学習をするといった「個に応じた学習」が期待されているのでしょう。

 したがって、教師には「学校という場を離れても学習に向かう姿勢を児童生徒にこれまで以上にもたせる工夫」が必要とされることになります。そうでなければ、「この学習をしなければ自分自身に大きな不利益がやってきて、それはとてもマズイことだ」と児童生徒に強く観念させる工夫やシステムを作る必要があります。あるいは、「先生がやっておいでね、と言ったことは当然やるべきで疑う余地もやらない余地もない」という意識を児童生徒にも保護者にももっていただくか、です。

 以上の3点を意識して授業をデザインする必要があるので、それをみんなやれるかどうかに「学力向上」(何を学力としているかよくわからないのですが)がかかっています。けっこうたいへんですが、やってみる価値は十分にあります。
 児童生徒がマスで大きく変わり、学校が変わり、社会が変わる可能性があるからです。
 ここで、「システムが悪い」「端末が悪い」「やってこない児童生徒が悪い」になると、元の木阿弥です。

 わたしが取り組んでいるICT活用では、「正解のない課題」に自分なりに取り組み、意見を述べることを多く求めています。たとえば教育用SNSに意見を述べてもらい、みんなで共有するというような使い方です。それは「自分一人では解決できない課題のほうが世の中には多くって、だから、衆知を集めて解決しよう!そのためには自分の意見がたとえ拙いと思っても投稿することが重要。意見の内容がみんなの役に立つこともあれば、あなたが投稿したことが他の誰かの投稿をうながすから。チームに貢献できるから。」というようにしています。これが、私の教育用SNS活用での主要なインセンティブの1つになっています。

 つぎに、国立大付属についての指摘についてです。
 この指摘はあたっている部分とあたってない部分があります。それはどうでもよいのです。そういうものですよね。

 私が強く感じるのは、目の前の生徒のみなさんは、総じて「学ぶことには価値がある」とどうも思っているようで、それが学びへのインセンティブになっているようだ、ということです。だから、「難解で抽象的な課題」への解決意欲が非常に高いです。「わからないから考える」「わからないから人の意見を聞きたい」「なんかわかったからおもろくなった、発言しようかな」という感じです。あまり、競争的な感じは感じません。
 それが、学習を支えてくれていると感じます。だから、基礎的な知識やスキルの習得は必要でもちろんやるのですが、授業のデザインの中に、「抽象度の高い課題」を配置します、というか、そこにアプローチする道筋を用意するようにしています。
 「この学習活動や知識は、何のためになぜ必要なのか」も明示する必要があります。これは誤解を生みそうなのできちんと説明しますが、今の生徒たちには「噛んで含める説明」が必要なのではないのです。「何のためになぜ?」の解説は、わたしという授業者の「スキーム」を明確に提示するということです。それをたたき台にして、生徒たち自身が自分自身のスキームを作り出したり、あるいはわたしのスキームをパクったりして、社会や知の世界にさまざまにある「スキーム」に対峙する態度と力を得ていくことが必要だと思っているということです。

 さいごに、公立学校とのコラボについてですが、やろうとするならば、国立大付属教員の授業半分以下に減らして、研究時間を与える必要があるでしょう。同じ時間帯に授業をしているからです。
 放課後は?公立学校では部活動をしているし、みなさんなんらかの仕事をなさっています。
 長期休業や休日は?
 いつ休むのでしょう?

 現実的には、国立大付属の教員の昼間の時間をあける工夫をするか、現在もっている「隙間の時間」や「授業の時間」を使って、自分の学校にいながらにしてコラボする工夫が必要です。それこそ、ICTが得意とする「距離が離れていてもコミュニケーションできるツール」であることが力を発揮するでしょう。
 Skypeでお互いの教室を結んで発表しあって、感想を言う、というようなものではダメです。教員同士がコンセプトや学習活動を一緒にデザインしておこなう共同学習をICTを活用して実施することで、それが可能になります。
元公立高校教員として、国立大附属教員からの教えを請う図式とかはまったく意味がないと思っていますので、フラットな関係で一緒に創るが重要だと思います。
 このような国立・私立・公立・小中学校を問わない遠距離間に離れながらにしておこなう共同学習には、ちょっとだけ取り組んでいます。めっちゃ面白いです。

 いろいろ書きましたが、もと記事がよいからです。これもFacebookのようなソーシャルメディアのおかげです。

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21世紀型の学びでの教師の役割と大学入試改革

文部科学省大臣補佐官の鈴木寛さんのインタビュー記事がEDUPEDIOAに載りました。


(政治的なことはちょっと置いておいて)

私と生徒たちが取り組んできたOECD東北スクールやその後継プロジェクトの位置付けにも触れられています。

それから、復興支援や部活動など、「大学に合格するために効率的に勉強する姿勢とそうするマインドセット(http://communications-inn.co.jp/blog/shanaiho141.html)」とは対照的なマインドセットが大学入試改革の根底にあることも紹介されています。

私は復興支援でこうしたマインドセットを生徒のみなさんが持っていることに心を打たれて、素直に「この子らは凄いなぁ!」と思えるようになりました。
そのことは、(ほんの少しではありますが)普段の授業やその他の活動で生徒のみなさんの活動を見て取る態度や活動のデザインにも影響を与えています。

「重箱の隅をつつく問題を解けることで他の受験生との差をつけて合格する」ことを目的とした(意識的であれ無意識的であれ)学習活動デザインは私も一生懸命作ったことがあります。院生時代に塾・予備校の講師をしましたし、高校でそれを目的とした演習の授業を担当していましたし。

その学習活動は、工夫すればするほど「授業者が活躍し、受験のための知識と工夫で生徒の尊敬を得る」ものとなると私は実感しています。具体的には授業が終わった後に授業者が心地よい充実感と疲労感を覚えるような授業です。

そこには学習者というオーディエンスとの心地よい一体感のようなものもありますし、授業の道程を振り返っての省察もあります。

しかし、その授業は登場人物が一人しかいないまずい芝居のような、ストーリー展開が一本調子で平板なものにしかなりません。そのストーリーの中では、授業者のデザインを逸脱するような振る舞いをする登場人物(生徒)の振る舞いは期待されていません。もちろん、観客(生徒)は意識されていますが、それは観客としてであり、ストーリーを共に紡ぐものではありません。

「重箱の隅をつつく問題で差をつける」ことが目的化しているので、できるだけたくさんの知識を得ることといかに間違わずに素早く問いを解くテクニックを身につけさせること、が何よりも重視されます。そのためには、授業時間内で授業者が説明し倒さなければいけなくなりますし、授業時間内外で一人で問題を解き続けることが必要となります。

だから、復興支援や部活動などに一生懸命取り組むのは「効率的」ではないというマインドセットが作られます。浪人生でそういった活動をしている人をあまりみかけないのはそのためです。

でも、そのような重箱の隅をつつくこと(職人芸や生き字引レベルではない)や、時間内にミスなく定められた手順で作業することは、これから求められる力、生徒のみなさんがしなやかによりよく生きていく力の中核にはなり得ません。

そういったことを改めて考えさせられた記事です。以下は記事からの一部引用です。

もう一つは、マインドセットの変化です。学校の中に、社会の中で学び続け、豊かな人生をおくるための力を意識し教育活動をしている先生は必ずいます。しかし、そうした先生は少数派であり、非難する保護者や教育委員会ないしは議員もいます。そういう先生を守れている校長・教頭と、守りきれずに流されている方もいるのです。例えば、学校行事や部活を制限させてまで、東大に入れろという考え方があります。それでは、豊かな学校生活を全うできません。当たり前なのに、それが分からない人が多くいます。
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復興支援 始動!

東日本大震災の復興支援活動

震災直後から生徒たちといっしょにいくつかの支援?活動に取り組んできました。

もっとも大きかったのは、「OECD東北スクール」という、被災各地の中高生約100名といっしょに、2013年の3月から2014年の8月末にパリで復興をアピール?するイベントを開催するために資金集めや企画や実施まで「こどもたち自らの手でおこなう」プロジェクトベーズドラーニングです。

最終的に、パリのエッフェル塔のシャンドマルス広場でのべ15万人の来場を得たイベントとなりました。本校の生徒たちももちろん参加しましたが、立場は「エンパワーメントパートナー」、支援者でした。

 パリでパリ市長やOECD教育局長シュライヒャー氏に説明をする生徒

そのほかにも、いくつかの復興支援と呼ばれる活動に取り組んできましたが、どの活動でも、生徒たちも私も常に意識してきた、というよりは意識せざるを得なかったのは、「支援ってなんだろう?」「わたしたちの考えていることや、しようとしていることって、意味があるのか?」、「やってはみたけど、ほんとうに役に立ったのか?」というような、「自らへの鋭い問い」が、自分自身からも仲間たちからもつねに突きつけられているということです。


 女川の高校生と地元菓子店がコラボしてつくった復興大福の販売や、ともしびを灯して被災地への思いをいたす「ともしびプロジェクト」に取り組む生徒たち


 この「問い」には、答えはありません。批判もされることがありますし、褒められることもあります。でもいろんな人たちがいろんな立場や思いや価値観からの評価であり、「唯一の正解」はありません。
 それでも考えながら、こころを動かしながら取り組むことが、「わたしという人間」を成長させ、変化させ、再評価させ、新たなステージへと導き、などなどの意義があると考えています。

 わたしは、この活動で、こころから生徒の皆さんを含む年若い人たちをリスペクトできるようになりました。みんな、自分の時間やお金や心やなんやらを費やして、いえ、費やすという意識もなく取り組んでいます。当然、見返りを求めることもないですし、そもそも「見返り」という発想がありません。それどころか、「自分たちの考えややろうとしていることって、意味あるのかなぁ?とか、迷惑じゃないだろうか?」とかまで考えている訳です。
 人間って、ここまで他者の役に立とうとできるのかと心打たれます。

 それは、生徒たちが復興支援活動で一般のみなさまに支援を呼び掛ける場面でも強く感じます。昨日は、学校のオープンスクールで、「被災地へ募金をしてくださったら福島県産のきゅうり2本差し上げますキャンペーン」をしました。たくさんの小学生や保護者のみなさま、生徒たちが募金をしてくれました。何円でも良いのです。でも、過分な募金をしてくださいました。中にはお札まで!




ほんとうに、心打たれます。だからこそ、やってこれているのかもしれません。しかし、それだけではないとも思っています。

 わたしは、個人としてというよりは、教師としてこの活動を意味づけています。
 それは、上記のように、「正解のない課題に取り組むこと」や「自らのありかたに鋭い問いを突きつけること」、「他者のたちばや思いを忖度すること」が、若い人たちが近未来、生きていくときにおおきな力となると確信しているからです。

 その観点からは、近年の「ゆとり教育」も「21世紀型スキル」も、「ディープ・アクティブラーニング」も至極当然のことを論じていると思います。… Visit the author's original post

アクティブラーニング

今話題のアクティブラーニング。
Facebookにアクティブラーニングについての興味深い疑問が載せられていました。その疑問にさまざまなすんごい人たちが答えようとしています。これも面白い!(SNSがなかった頃にはけっして起こらないことでした。こうした協同がおおきな成果を生み出しています)。


■アクティブラーニングって今盛んに言っているけれど、
 工夫を凝らして生徒を動かす授業は
 昔からやってきたことではないか。

■双方向の授業という理想論もけっこうだか
 大体そういう授業は教室の秩序が乱れて失敗する。

■グループワークに馴染めない生徒が
 いる場合どうするのか。

■そもそも、意欲や関心を評価するのは可能なのか。
 それは傲慢な考えではないか。

■ペア学習やグループ学習をやっていれば
 教科書が終われない。授業が遅れるのではないか。

■アクティブラーニングだろうが、
 一方的な授業であろうが、
 要は学力がつけばいいのではないか。

■アクティブラーニングでは
 大学入試に耐えうる学力が身につかない。

■ベネッセの「大学生の学習・生活実態調査」を見ると
 「学生の自主性に任せる」より
 「大学の教員が指導・支援する方がよい」が
  15.3%(2008)から30.0%(2012)に増大。
 大学では生徒に受け入れられていないのではないか。

■アクティブだけど気が散りやすい騒がしい教室より、
 熟練の教員に指導を受けアイディアを
 展開してもらいながら、
 自分で静かに思慮にふけることのできる
 環境の方が学びやすいという人もいる。
 (参考 ディープアクティブラーニング/松下佳代)

■アクティブラーニングにおいても、
 講義形式の授業で見られた
 「学生の学びの質の格差」という課題は
 解決しておらず、一方で、フリーライダーの出現や、
 グループワークの非活性化、
 思考と活動に乖離のあるアクティブラーニングの
 状況が見られている。  
 (参考 ディープアクティブラーニング/松下佳代)


■現在の学校現場の体質から見ると、
 学習指導要領で規定することで、
 「主体的に学ぶことを叩きこむ」などといった、
 画一的にアクティブラーニングが進められ、
 教育現場の自立性・創造性が
 減殺される危険性がある。
 (参考 文部科学省コメント)


ちょうど自分自身、ディープ・アクティブラーニングについての研究計画を作成中ですので、自分なりの回答を試みてみます。私の立ち位置は、「学習活動の主役は教師ではなく生徒」であることと、松下佳代さんの『ディープ・アクティブラーニング』で溝上さんがご紹介の、「活動の〈動詞から見る〉学習への深いアプローチと浅いアプローチの特徴」にあるような「深いアプローチ」が学習活動でおきなければ(起こすように活動をデザインしなければ)いけないというものです。
「浅いアプローチ→深いアプローチ」
 記憶する→名前をあげる・認める→文章を理解する→言い換える→記述する(ここまでが浅いアプローチ)→中心となる考えを理解する→関連付ける→論じる→説明する→身近な問題に適用する→原理と関連付ける→仮説を立てる→離れた問題に適用する→振り返る」




■アクティブラーニングって今盛んに言っているけれど、工夫を凝らして生徒を動かす授業は
 昔からやってきたことではないか。
>その通り。すぐれた実践は多い。日本の教師は優秀です。問題は「はいまわる経験主義」のようになっていないかということです。上記の「深いアプローチ」を意識的に生徒におこなわせているかが重要だと思います。意識的も大切です。そうでなければその学習活動は「デザインされていない」ということ、すなわち目的と手段・方法が考えられていないということになります。欲を言えば、私としては「深いアプローチ」をしている私、また教師は何を目的としてどう授業をデザインしているか把握する私、といったメタ認知を生徒にしてもらえるようデザインしたいです。


■双方向の授業という理想論もけっこうだか大体そういう授業は教室の秩序が乱れて失敗する。
>「秩序」とはどんな状態で何のために必要なのかが不分明ですが、授業の目的と手段・方法をきちんと立てられていてそれを生徒が理解していればそうはならないでしょうし、双方向の活動で授業がめちゃくちゃになるようなら、その教師の知識技能伝達型の一斉講義の授業では生徒はただ思考停止しているのではないかと思われます。


■グループワークに馴染めない生徒がいる場合どうするのか。
>わたしがそうですし、グループワークでご苦労されている先生方がいらっしゃることもよく知っています。その上でですが、なぜグループワークになじめないのか生徒理解が必要ですね。それは個に応じた支援のためにも必要不可欠です。生徒理解のよい機会でもあるととらえられるのではないでしょうか。そうすることでその生徒へのかかわり方や支援に仕方もみえてくるでしょう。グループワークありきみたいな話になっていますが、生徒の皆さんの将来を展望したときに、仕事や社会においてグループワークなしで済ませることはできません。失敗が許容される生徒のうちにいろいろと経験してもらうとよいと思います。ただ、同調圧力のようなものには注意が必要です。それは個を圧殺するからです。個が生きるために、グループにどうしたら貢献できるのか生徒ともに考える態度が必要ですね。


■そもそも、意欲や関心を評価するのは可能なのか。それは傲慢な考えではないか。
>意欲や関心を評価する必要はありません。上記の「深いアプローチ」が生じているかどうか、グループに貢献できているかどうかが評価ポイントです。じつはその評価は意欲や関心の評価と表裏一体です。意欲や関心がなければ深いアプローチなど起きようもありませんし、質も左右します。ということは、この「評価」とは授業者の授業デザイン力やファシリテーション能力、授業運営能力などへの評価に他なりません。授業者が評価されているのです。そこから授業者のリフレクションが生じて授業力を上げます。いいことですね。


■ペア学習やグループ学習をやっていれば教科書が終われない。授業が遅れるのではないか。
>たしかに協同型の学習は時間がかかります。ただ、深いアプローチやメタ認知の中には、知識伝達型の一斉授業では起きないものがあります。それらを起きさせるために協同型の学習などのアクティブラーニングが必要不可欠です。では、どうするのか?反転学習やプリント学習、クラウドの利用など時間を有効に使う工夫が必要です。たいへんですが、生徒の活動や成長が目に見えるようになりますよ。それは大きな喜びですよね。


■アクティブラーニングだろうが、一方的な授業であろうが、要は学力がつけばいいのではないか。
>どんな学力なのでしょうか?上記の深いアプローチやメタ認知の中には、知識伝達型の一斉授業では起きないものがあります。


■アクティブラーニングでは大学入試に耐えうる学力が身につかない。
>京都大学の方が、「受験で燃え尽きる学生や伸びしろのない学生が一番困る。こちらも本人も」とおっしゃっています。東京大学の先生の中には、「同じ学校出身の学生が増えてきて同質性が高まるのは創造的な教育や研究にはデメリットだ」とおっしゃる方もいらっしゃいます。そうした方々が見ているのは受験学力ではない「力」のようです。また、これは私の実体験ですが、受験のための演習に明け暮れる高校では、受験が終わった瞬間に生徒が「学ばなくなる」傾向がよく見られます。具体的にはまったく授業を聞かなくなります。受験のための授業なのだからあたり前ですが、先生方は憤っていました。なんか変です。それでよいのでしょうか?


■ベネッセの「大学生の学習・生活実態調査」を見ると「学生の自主性に任せる」より「大学の教員が指導・支援する方がよい」が15.3%(2008)から30.0%(2012)に増大。大学では生徒に受け入れられていないのではないか。
>全入時代にあって、大学教員が指導・支援しなくてもよい学生さんってほんの一握りではないですか?


■アクティブだけど気が散りやすい騒がしい教室より、熟練の教員に指導を受けアイディアを
 展開してもらいながら、自分で静かに思慮にふけることのできる環境の方が学びやすいという人もいる。(参考 ディープアクティブラーニング/松下佳代)
>熟練の教員の授業はすごいですよね。しかし深いアプローチやメタ認知の中には、知識伝達型の一斉授業では起きないものがあります。


■アクティブラーニングにおいても、講義形式の授業で見られた「学生の学びの質の格差」という課題は解決しておらず、一方で、フリーライダーの出現や、グループワークの非活性化、思考と活動に乖離のあるアクティブラーニングの状況が見られている。(参考 ディープアクティブラーニング/松下佳代)
>新たな学習方法には新たな授業力が必要になります。知識伝達型の一斉授業の達人の授業では講義形式の授業で見られた「学生の学びの質の格差」という課題は起きないのと同じです。



■現在の学校現場の体質から見ると、学習指導要領で規定することで、「主体的に学ぶことを叩きこむ」などといった、画一的にアクティブラーニングが進められ、教育現場の自立性・創造性が減殺される危険性がある。(参考 文部科学省コメント)
>現場の教員をなめてはいけません(笑)Visit the author's original post

アクティブラーニングの試み

アクティブラーニングって何だろう?

これが前回のテーマでした。わたしなりの定義と、生徒たちの意見の変容や意見そのものも載せました。


で、今回は、また別の切り口からのアクティブラーニングの試みを紹介します。

それは「総合的な学習の時間」での学習活動です。



↑が総合的な学習の時間についての説明です。
こういった態度や力のすべてを一人で身につけることは困難です。そのためアクティブラーニングの出番なわけです。


勤務校では総合的な学習の時間に名前をつけています。「探究世界」というのが高校の総合的な学習の名称です。わたしは、今年度、高1の探究世界Ⅱを担当しています。

そのコンセプトの説明のために、以下の動画を用意しました。





これもじつは私にとって新たなチャレンジです。この動画をおおきな画面で流しながら、口頭で説明を加えていきます。紙の資料だけでの説明だと、どうしても、顔は紙を見て耳だけこっちに傾けるということが多いのですが、その過程で寝ちゃう人とか出てきますよね。

それで、コンセプト説明なら、このぐらいの少ない情報で、しかし、印象的な「映像」を用いることによって十分内容を伝えることは可能だし、印象にも残ると考えました。
TEDなどのいろんなプレゼンを参考にした結果です(ただし、質がそれほどよいかは不明 笑)

「探究・世界Ⅱ」は、4人の担当者でまわしていきます。生徒も4ぐr-ぷにわかれて、4人の担当者の講座を6クール(1クールは90分)ぐらいまわって、別の担当者の講座へまわっていくというように作られています。

私の講座は、「地域の課題解決を地域のNPOとともに行おう!」といった内容のもの。


実際に活動しているNPOの方にファシリテーターにはいっていただき、NPOって何で、地域の課題って何で、どうやって解決しようとしているのか、で、自分たちはどんなことを課題と考えて解決する?
アクションプランを企画して、NPOの方とか起業している方にプレゼンし、できたら取り組んでみよう1というものです。

この活動の中でリサーチや課題設定や、企画などの際に、1人では解決できない問題にぶちあたり、それを共同して解決していくプロセスがはいります。

そして、自分たちを取り巻く環境や制度の「枠ぐみ」を知り、解決の方法を模索する中で、「どうしてそういう課題が生じるのか」「解決することで何が生まれるのか」といった深い学びが生じ、かつ、いくつかのスキルが向上します。


こんな形で、進めています。

次週は、起業家の方へのプレゼン、手厳しくやられることでしょう。

私自身、自分の学習活動の企画や運営に、外部の方のご協力を得ることは、ほぼはじめての体験であり、かつ、評価を受けるのもはじめてです。

生徒への評価は私への評価です。怖いなぁ。でもおもろい!
評価からのブラッシュアップが可能になるからです。しかもその評価の観点には、わたしが持っていない観点が必ず含まれるでしょう。楽しみ!

自分自身の成長もモニターしたら、面白そうです。 … Visit the author's original post

アクティブ・ラーニングって何だろう?

教育現場をたいへんにぎわしている「アクティブ・ラーニング」

 いったいどんな学習の方法や形態なのでしょうか?

文部科学省による説明がこれ


 わたしはアクティブ・ラーニングを次のように定義しています(自分の経験からの定義なので、学術的な根拠がどこかにあるわけではありません。それはまた研究発表などをする際に勉強します)


・課題解決を個人および複数人で共同しておこなう
・複数人でおこなう理由は、①個人で解決できない課題であるから ②自分の意見などにフィードバックをもらいブラッシュアップや評価を得るため ③個人では気づかない見方や知見を得るため
・授業のファシリテーター(たとえば教員)の設定した課題をクリアすることが評価の際の標準
・ラーニングの過程で、設定された課題にかかわる深い理解(ディープラーニング)が発動するように学習活動がデザインされている
・設定された課題の意図や目的をとらえることが要求されている
・ラーニングの過程で設定された課題以外の課題の発見や課題に関連する発展的な学びが発生することが期待されている


 「児童生徒が主体的に活動する学習活動」というよくある、しかし何も具体化されていない説明がアクティブラーニングではないと考えます。

 「何が主体的と言えるのか?」「その活動で期待される学習効果は一斉講義型では到達不可能なのか?(ご存じのとおり一斉講義型のほうが時間のコストがかかりません)」「なぜアクティブでなければならないのか?」「共同的な学習をどうデザインするのか?」「共同的な学習でなければできないこととは何か?」などを明らかにして実施する必要があるでしょう。




 以前より、いくつかの理由があって、新聞を利用した学習(NIE)に取り組んでいます。その中に上記を意識した単元があります。

単元 「記者にインタビュー ~新聞のコラムと記事を比較して~」


 学習活動としては、同じ社会的な事象(私が実施した学習で取り上げたものでいうと、高校入試の特別選抜について)について取り上げた、新聞の記事とコラムを比較して、

 ①何が違うのか明らかにし
 ②なぜ違うのか理由を考え



 ③記事とコラムの「よいところと悪いところ」を②の理由とリンクさせて指摘し
 ④実際にコラムを書いた新聞記者に②と③をインタビューする準備をし

href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150523/14/narajo/d2/2e/p/o0458025813315431383.png"


 ⑤インタビューの準備の際には、記者から返ってくると想定される回答を考え
 ⑥なぜそう回答すると思われるのか考えておき
 ⑦実際にインタビューを行い
 ⑧自分たちの考えた理由や想定した回答と回答理由と、どう同じでどう違ったのかを明らかにして
 ⑨自分たちの見方や考え方とらえ方を相対化することで
 ⑩自分たちの見方や考え方とらえ方を深めたり広げたりできることが期待でき
 ⑪また、新聞というメディアの特性に学習を通じて気づき理解を深めて、よりよく活用できる道筋を開き



 ⑫最終的には、この学習活動で授業を設定した二田のねらいとは何か自分で考えてグループで考えを共有することで
 ⑬ファシリテーターの知的なスキームを捉えていく態度とスキルを磨く
こんな感じです。

上記の①~⑥は、個人では完全にはできない課題なので共同でおこなう必要があります。まぁそういってしまうと①~⑬まで全部なのですが(笑)

 記者に実際にインタビューすることで、自分たちのスキームを相対化したり再構築したりできます。これは教員と生徒だけではできないことですね。また、新聞や記者を学習対象とすることは、社会と接続することでもあります。

 想定問答を考えているときや、実際にどうだったか振り返っているとき(ですので、インタビューの際も)、生徒たちはとっても面白そうに学習に取り組んでいます。
 将来的に、なにかの会議やプレゼンなどで役立つと展望している活動ですし、論文を書くときなどに必要となる「仮説を立てる力」にもちょっとだけ通じると考えています。
 こんなのが、ディープラーニングとメタ認知を発生させる、アクティブラーニングかなぁと考えています。





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小学生とバスケットボール教室

職場の理解を得て、不定期ながら開催している、地域の小学生向けのバスケットボール教室。

よく考えたら、今年で5年目(ノ゚ο゚)ノ



昨日は午後から部活のあとでバスケ教室を開催!

なかなか開催できずにいたので、数ヶ月ぶりのご案内でしたが、10名の小学生が参加してくれました!

口コミで来てくれた子もいて、やっぱりこういう「ゆる~い」スポーツの機会があるといいのかなと改めて感じました。放課後や休日のこどもたちの遊び場や活動についても考えさせられます。



すでに教室開始当初の目的は達成しているので、ここまで続けている理由は別のものになっています。

それは、自分自身の「修行」(笑)

もともとは公立高校教員から教員経験がはじまった私。
現在の勤務校に来て中学生の教科担任もクラス担任もするようになり、また、中学バスケ部の顧問も務めています。

その経験が、ほぼ小学生に適用できない

まず、「集合!」って言葉がつかえない。
たとえば、「集まってぇ!!」 → 子どもたちが多いところで「ここに集まろう!!」 →集まる場所を決めておき、「よーいドン!で集まれぇ!!」

みたいな工夫が必要と気づく過程を経験中です。

子どもたちは自分の都合では動かないし、動かせない。

でも、ルールや規範を教えることは大切。




子どもたちに、「こうやってやるんだよ」と手本を見せても、なかなかそうはできない。

一人一人に寄り添って、よいところをほめながら、うまくできるようにフォローして上達してもらう。その過程で、たとえばシュートが入る、とか成功体験が「おもしろさ」や「やりがい」を生じさせるから、とっても重要。

子どもたちの様子や表情をみながら、自分自身の働きかけを常に見直していき、働きかけを変えたりする…

よい修行です(^_^;)… Visit the author's original post

授業でSNSを使う利点とは

2年ほど前から、教育用SNSのednityを利用しています。




 つい先日、今年度はじめて教科担任をする中2の授業で、はじめてednity使いました。

単元は、「小説のしかけを読み解く」

学習の目的は・・・
 ①小説の冒頭部の情景描写やキャラクター設定の分析ができるようになること
 ②上記により、小説の構造や小説が読者を物語へといざなう力の源泉を探究する態度やスキルを身につけること
 ③上記により、物語がもつ「話型」を知り、それが世界中で古くから用いられてきたことを理解することにより、「物語る」とはどういうことか探究する態度やスキルを身につけること
 などをねらっています。


 小説だけでもできるのですが、アニメの分析を組み合わせると、ほら、おもろいじゃないですか!

 そのため(本校の中3以上の生徒のみなさんにはもうすっかり定番ですが)、「千と千尋の神隠し」の冒頭部分析からはじめています。

 「千と千尋の神隠し」の冒頭部分を見て、まずは私から、
「千と千尋の神隠し」というタイトルがでる場面のタイトルバックって、今見ている通り、よくある新興住宅街の風景なんだけど、アニメの「顔」のタイトルバックとしてふさわしくないんじゃない?STAR WARSとかもう「宇宙!」て感じだよね。でも、アニメって無駄なシーンとかをできる限りなくして作りこまれているわけで…じゃぁなんでこうなっているんだろう。どんな意味があるんだろう?
 こんな風に、「このシーンやセリフや出てくるものに、どんな意味があるのか」って考えたときに、何か指摘できるシーンとかがあったら、ednityに書き込んでみて!
 こんなことでいいのかな・とか思うかもしれないけど、まずは誰かが書き込むことで、ほかのみんなの背中を押すし、「よくわかんないなぁ」って思っている人に「こういうことでいいんだ」って知らせる効果もあるから、クラスのみんなにために貢献するんだと思って、あまり気にせずに書き込んでね~
 ということで書き込んでもらいました。




 そのなかから、私がこの学習活動で、「これは絶対に習得してほしい」という態度や見方やスキルを習得するために必要な部分をコピペして提示したところで、1回目の授業は終わり。


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復興支援とはなんだろう?

東日本大震災にかかわる復興支援のこころみ

何人もの生徒のみなさんが、いくつかのこころみにチャレンジしています

東北へ行きたい生徒たちもたくさんいます

現実には、なかなか行けない  行けてもどうしても単発で終わってしまう

そこで、「できることを できる人が」を合い言葉に取り組んでいます


なかでも取り組みやすく、本校でも2年以上にわたって取り組まれているのが

「ともしびプロジェクト」です




4月11日には、ともしびプロジョクトとともに、宮城県女川町の女川高校の生徒たちと地元の大沼製菓がコラボして開発した復興支援の大福「たまげ大福だっちゃ」の紹介と提供もおこないました






こうしたことが、すこしでも、震災や被災地への関心を高めてくれることを願います

とくに若い世代のみなさんの関心が高まってほしい、と個人的に願いますし、何人かの生徒たちもそうおもっているようです

なぜなら、震災からの復興や、震災がさらに拍車をかけた少子高齢化の問題、就業の問題などなどは、若い世代におおきく影響する課題だからです


関西では、震災のことがほとんど報じられません

日常的にテレビや新聞に接する機会がすくなくなっている中高校生ならなおさらです




でも、こうしたこころみに対して、他の生徒のみなさんがちゃんと応えてくれます

4月11日も約100名の生徒のみなさんが参加してくれました!

こころのなかに眠っているもの、あるいは今はないけれど「ああ、それは大切だ」となるようなもの

そういったものを呼び起こしたりできるのも、こうした復興支援活動をしている生徒たちにとってのよろこびなようです






復興支援とはなにか? ほんとうに役立っているのか? 生徒たちは、けっこうするどく自問自答しながら、自分たちの時間や労力を費やしています

その姿に、心うたれます … Visit the author's original post

部活動ってなんだろう?

昨日は1日バスケ!


 朝早く集合して、和歌山へ。
 和歌山の中学校にお世話になって、一日中バスケ!
 男女ともに、長距離移動して慣れない場所、はじめての相手とゲームします。
 こういう経験を積んでようやく、いつでも自分たちの練習を活かした自分たちのバスケができるようになります。
 また、バスでの過ごし方や、他校の施設の使い方、相手チームへの態度(相手チームがいなければゲームはできないですし、体育館がなければさらに何もできないわけですし)、など実体験で学ぶことはたくさんあります。
 時どき相手チームの選手のファールなどに「ナイスファール!」とか、「ラッキー」とか選手個人やチームではやすようなチームがあります。
 私は相手チームへの感謝と敬意を払うという観点からそうしたことはさせません。
感謝と敬意は、全力でゲームをすることでもあります。相手チームも練習ゲームを通じて成長しようとしているからです。




ある日の新聞では、中高での部活動指導の過負担の問題が取り上げられ、三菱の国産機MRJの開発話が大きく取り上げられています。




 それらを並べて思うのは、教員の仕事って数値化された評価や実体化される成果ってとてもしにくいし、出て来にくいということです。




 個人的に、学習活動のエビデンスを明確に出していくこと、それが現状と近未来予測(予測できない未来を生きる力や態度をどう育成・涵養するのかも含め)とリンクすること。また、教育でのさまざまな理念や実践を踏まえることに取り組んではいるものの、やはり数値化も文章化も実体的な成果も出しにくい所がたくさんありますし、エビデンス化すると誤解を生じかねないと思われることもあります。
 以前、毎日新聞社に生徒の皆さんとうかがって、とても印象に残ったのは、私たちはよりよい社会、住みやすい社会を維持したり改めたりする役割を果たす、という支局の方の言葉でした。
 
 教員もまた、目の前の一人一人の生徒の皆さんがよりよい人生を歩めるような「手伝い」をする存在であり、それがよりよい社会、世界の維持や再構築と深く関わっていると思います。
 だから大学入学者では成果は測れないし、部活動の戦績でも測れません。そういった数値がどう生徒の皆さんの人生を豊かにすることと不可分であるのか、社会や世界にどう貢献しているのかで、評価されてはじめて教育の評価となり得ます。
 部活動の過負担の問題も、部活動指導をすることが、どう生徒の皆さんの人生を豊かにすること等を阻害するのか?といった観点から分析する必要があります。
 私は、部活動に取り組む側に立ちますが、上記のように、部活動に否定的な方であっても、その方の教科指導や生活指導などの働きかけが社会の現状分析と将来への展望に基づいて生徒の皆さんの人生を豊かにするのであれば、リスペクトします。
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中2でビジュアルプログラミング! 今年度終了しました

みなさま
ずっと前に投稿した「中2でビジュアルプログラミング!」

終了し、何人かの生徒に「授業分析」を書いてもらいました。けっこう面白いのでシェアいたします。※了解は得ています


ここから生徒(中2男子)の授業分析
>MOON Blockは、人間と違って、完全に正しい命令をしなければ思った通りに動かない。それを自分の思ったとおりに動かすには伝達力と思考力が必要である。さらに、ゲームを面白くするためには、想像力が必要である。また、ただゲームを作るのではなく、国語の授業で作ることで、コンピューター言語という新たな言語を知るという、一つ奧まで踏み込み、このように(国語で)する意味を考える、といった、多くの視点から「言語」をみつめられる。テクノロジーを扱うことで、視野も広げられる。さらに友達と情報を共有し、問題点を指摘し合ったりする中で、より『他人とのつながりを深めることができる。<以上引用終わり
なお、授業概要は下記の通りです。
利用言語は「MOONBlock」
 
 対象:中学2年生、3クラス、合計122名
 期間:約2週間
 授業回数:各クラス45分授業を4回
 授業イメージ:第1回 プログラミングの説明、作り出し
        第2回 生徒たちががんばって作る
        第3回  同上
        第4回  同上 発表

今回は「試行」ですので
・プログラミングで「~ならば・・・となる」のような論理ブロックを3使い、それがどんな工夫につながったのか論述する。
・自分が作ったゲームの工夫やコンセプトを言語化して発表する
以上をゴールとしました。
なお、下記は生徒が勝手にデータ保存用につかっていたSNS(ednity)に投稿した内容です。これもなんかおもろいです。
 以下のURLをコピーしてブラウザのURL部分に貼り付けてエンターを押したりしてもらうと、この生徒(中2女子)の作ったゲームが見られます。
 また、ゲーム画面の左下の「RUN」をクリックして、「スクリーン」をクリック、拡大されたスクリーンのどこかをクリックするとゲームスタートです。





以下生徒がSNS(ednity)に投稿した内容

http://goo.gl/cORWSO  ←音に注意!!ゲームオーバーででっかい音が鳴ります!!
ルビーを全部取れればクリアです。
まず、上からモンスターが流れてきます。
一定時間経つと、ルビーからどくろが出てきます。
さらに、一定時間経つとどくろから爆弾が出てきます。
モンスター、どくろ、爆弾に当たるとゲームオーバーです。
制限時間は、20秒です。
かなりムリゲーですが、ぜひとも挑戦してみてください。クリアできたひとは私まで!(私もクリアしてません)
<以上引用終わり… Visit the author's original post